2022/2/6 13:00~17:00
報告者:蔵人
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セミナー最終日は、これまでディスカッションした「問い」を踏まえた上で、より深く掘り下げたい内容・新たにディスカッションしたい内容を、改めてディスカッションしてみようということで、以下3つのグループに分かれてディスカッションをすることになった。

登場人物である3名の女性(お芳・おみつ・奴)について、深く掘り下げたい。

現代の役者が「オッペケぺ」の舞台稽古をしているというシーンは必要か?
必要であればその演出効果はどんな効果があるか?
スライドの効果・現在上演する場合演出方法も含め、考えたい。

「オッペケぺ」における台詞術という視点で、この戯曲を掘り下げて考えたい。

ディスカッションに先立ち、今回で5つ目となる福田さんのインタビュー映像を全体で共有。
三幕五場の城山の膨大な量の長台詞について、どう舞台上で表現するかという実行委員の演出家からの問いに対して、
「(もし時間の都合などにより台詞をカットしなければならない時は)これだけは落としたくないという台詞を選んでおけよ。そこから落とせ。
と後輩の演出家に向けるかのように言っていたお話が印象的であった。

また、「(城山の長台詞の中から、日本人の(思考や行動の)メカニズムを明るみに出そうとしているのではとの問いかけに対し)それは買い被り。そんな力も無いし……でも、ほぼ当たっていると思います。あなたの指摘は非常にありがたいです」という言葉もあり、福田さんが台詞に託していることが、「こうあらねばならぬ」というような絶対的な思想ではなく、「僕はこう思うんだけれど、どう思う?」と言った、観客に対する柔らかい問いかけなのかなという印象を受け、受け手側(観客)の受け取り方を大切にしたいという一面が垣間見られ、かなり興味深かった。

あまり直接結びつけるのはよく無いとは思うが、しかしながら「オッペケぺ」の題材が自由民権運動であるから、そういう福田さんの人柄からも、書かれた戯曲を紐解くと面白いのでは、と思われた。初日から通して、福田さんの飄々とした語り口には、一見すると時には激しい印象のある福田戯曲の持っている深層の意図のようなモノのヒントが隠されているのでは無いかと改めて感じた。

その後①〜③のチームに分かれて、ブレイクアウトルームを利用したグループディスカッションを行った。
私は自分の振り分けられた②のルームしか観てはいないが、前日までの1幕〜3幕までの個別のディスカッションを行った上でのディスカッションということもあり、全体での共有する為の発表および各参加者からの「付け足し」を聞くと、かなり白熱したディスカッションが行われたようだ。

私の所属した②でも、いわゆる「メタ構造(メインの物語を現在の俳優が演じる為に舞台稽古をしているというシーン)」が、初日にも出た

・現在の観客とを結ぶ為に必要だ

という意見だけでなく、

・ブレヒト的に異化効果があるのでは
・観客だけではなく、実際に上演している俳優・演出家などに対しても向けられているメッセージがあるのでは
・演劇でしか表現できないことを表現する為に必要では無いか
等、さまざまな意見が出、また「現在上演するとしたら」ということも、
・大劇場よりはむしろ稽古場のような小さいサイズのところで、裸一貫の役者たちが演じた方がいいのでは
・最初の部分を書き換え、現在の自由民権運動やオッペケぺ、安保闘争などを知らない世代の役者が演じるということからスタートすると、むしろ福田さんがこの戯曲でやろうとしたことが伝わるのでは無いか

等、これまたブレイクアウトルームの制限時間には納まりきらず、途中で終了してしまうくらい、意見が白熱した。
他のグループでも、特に①のグループでは、現在に通じるジェンダーの問題なども話されたりなど、もっと時間が欲しいと感じるくらいのディスカッションがなされたようであった。

最後に今回の5日間(事前研修も含めると7日間)のセミナーを通しての成果発表が行われた。
総じて、戯曲について探っていく面白さや、多くの人(特に今回は世代もさまざまであった)との考え方に触れることによる発見があったことなど、参加者それぞれの得られたモノが多くあったようだ。

以上

2022/2/5 13:00~17:00
報告者:黒澤世莉
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本セミナーは、事前研修2回、本セミナー5回、計7回のプログラムなので、セミナー4日目の本日は全7回の6回目、次回は最終日という位置づけになる。いままで2時間半だった時間も4時間に伸びる。いままでは「盛り上がってきたのに」というところで終わってしまったグループディスカッションも、じっくり深められるかもしれない。

本日のプログラムは、問いの共有、福田善之氏のインタビュー映像を見る、三幕について本読み&グループディスカッション、全体での共有、福田氏と渡辺美佐子氏のインタビュー映像、最終日の成果発表に向けたグループディスカッション、成果報告のテーマ共有、となっている。

グループディスカッションの際の主題となる問いは以下の通り。

1)富吉のいう、うちの芝居のいやらしさとは何か?

2)北村透谷『蓬莱曲』の話がなぜ出てくるのか?「この世で一番風流なものはみみず」とは何か?

3)なぜ愛甲辰也は城山を殺そうとしたのか。また「ひとつだけしたいことがある…殺すとなんて。しなくてよかった。」愛甲辰也が観客の前でオッペケぺをうたい、したかったこととは何なのか。

4)三幕での愛甲と行徳のシーンで、何故「だから俺は…」で黙ったのか

5)三幕の幕間の事件が書かれたのはなぜか

6)P185の5行よりP186の後ろから3行まで、演出者として辰也のここの演技に何を込める?


福田氏のインタビューでは、氏独特の語り口が軽妙で楽しいし、それだけに捉えどころがないところから、核心を探るのもまた楽しい。この日は以下のようなトピックが興味深かった。

・「戯曲は世界を描くには優れた形式」である、なぜなら直線的ではなく、回転的に描けるから


・マッカーサーに土下座するおばあさんの写真を見たとき、これは自分だ、と思った。理屈では無く、直感的に。

ディスカッションでは、わたしたちのグループは
6)P185の5行よりP186の後ろから3行まで、演出者として辰也のここの演技に何を込める?
について話し合った。具体的には辰也がオッペケペ節を行う場面だ。構造的に、どういう効果があるのか? 演出する際どのような企みをもって演出するか? そんな対話がなされた。

福田氏と渡辺氏のインタビュー映像では、渡辺氏がお芳の2幕5場終盤の台詞「なんか…みんな……ぜんぶ……すごく、ちがっちゃってるじゃない……ちがって来ちゃってるじゃない(激しく)おかしいじゃない……」を実演してくださり、参加者が湧いた。素敵な台詞でした。

最後は、サルメカンパニーの上演ではどういった演出がなされたのか、とくにラストシーンについて椎名氏より写真を交えた共有があった。そして、明日の成果発表に向けて、各々がいま考えていることを短く共有した。明日の発表でどういった意見が飛び出るのか、期待を高めつつ終了。

2022/2/3 19:00~21:30
報告者:豊永純子

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セミナー3日目は「第二幕を読む!」ということで、事前に参加者の方々から提出のあった下記4つの問いについて議論を行った。

① 第二場 辰也「奥さんが好きだ!」
どうして最後にこの台詞なのだろうか。文脈のつながりを問いたい。

② 第五場 お芳「なんか、みんな〜おかしいじゃない」
これを呆然とみつめている時の辰也の心情をみなさんはどう感じとりますか?

③ 第一場 辰也が、美しいこと・心に響くことなどがこれから変わって行くのではないかという趣旨の発言をするが、実際2022年現在、変わったのか。
また、変化することをどのくらい信じて書かれた台詞なのか。

④ 第一場 雛丸と辰也の芸術論議
しかも雛丸は辰也の内にある審美眼を感じて期待しているのでは?

魅力的な「問い」が発表された後は、お待ちかね、本日の「福田善之インタビュー動画」の時間である。作家の声を聞き逃すまいと集中する、参加者および実行委員の面々。今日の視聴分は福田氏の「台本に全て根拠があるわけでは無い」という言葉から始まり、台詞や戯曲の細かい点についてヒントとなる貴重な16分だった。

「福田さんにとって芝居の毒とは何か?」という質問に対しては、直接的な答えではないとのことだが、「人間はお互いに毒。男の毒は女、女の毒は男。親の毒はこども、こどもの毒は親。」という返答。『オッペケペ』を理解する上で非常に重要な考え方かもしれない。
「雛丸さんは(芝居を)やめたくても、もうやめられない。」という言葉には、どこか福田氏ご自身のことも含まれているように感じた。
三幕三場の奥中の台詞「あれを倒せばいいんだ、倒すためにはすべてのものが手をあげればいいだけだ。」を取り上げ、この一連の台詞に登場する「敵」とは、明治国家の天皇制だと説明された。中には上演時カットされそうになった台詞もあるが、リアルを超える「はみ出し方」がこの芝居の良さだと語ってくださった。
幼い頃の空襲で目にした「焼け死んだ人」について言及する場面もあった。その流れで「ぼくも近年「死体」に近づいている感覚がある・・・」と真面目な表情で呟いたかと思うと、「何をしても「したい」放題」と茶目っ気たっぷりのジョークで締めくくられたので、思わずみんな笑顔になった。

その後総合司会の丸尾聡氏によって第二幕のあらすじと共に、「なぜ雛丸は、辰也を壮士とは違うと言うのか?」「なぜ城山は内務卿鎌田と会う時、辰也を連れていったのか?」などの疑問が参加者に投げかけられた。

さて、4つのグループで行ったディスカッションはというと、作家インタビューや丸尾氏の疑問に触発されつつ、どの部屋でも大変有意義な時間が過ごせた模様。全体共有のときに、どの発表者も「興味深い意見がたくさん出た」と報告があった。

例えば、雛丸・辰也の芸術論議について話したグループは「美しい」というもののレベルのズレに着目し、議論を進める内に、メンバーそれぞれが感じる「美」の話に飛び火していったという。ほんのワンシーン、ほんのワンフレーズの台詞であっても、無限に議論していられる骨のある戯曲であることが、3日目にしてさらにはっきりとしてきたのではないか。
残り2回のセミナーで到底話し尽せる戯曲ではないことを重々承知しながらも、私たちは「したい放題」激論を交わすであろう・・・。

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