鹿鳴館 1幕について 報告

報告者 丸尾
 

事前に参加者から出された1幕に対する「問い」は以下の通り。

 

◯一幕の終わり、久雄は朝子に今でも父を愛しているかと問う。朝子が愛していると告げると、自分が父を暗殺しようとしていることを打ち明ける。

ここでもし朝子が別の返答をしていたとしたら久雄は暗殺計画を打ち明けただろうか。

また、このシーンの砲音にはどのような効果があるか。

 

◯「季子、顕子に見る三島の天皇観とは?」

一幕では、季子と顕子は過激派の公家の血が流れている人物として描かれている。それに対して、季子の夫で公家である大徳寺は優柔不断で温厚な人物として描かれている。この描写に込められた三島の天皇観について問いとする。

また、「過激派の公家」である季子と顕子を演じるにあたり、この三島の天皇観をどのように役作りに反映することができるだろうか。季子と顕子の役どころについて。

 

1幕冒頭のシーンをユーモラスなシーンとしてとらえることが可能だと思うが、

 その場合、三島由紀夫は何を笑って=批判しているのであろうか?

 

◯ヒロイン以外の女性たちの物語の中での役割は何か?

 ということを考えたいと思います。

 

◯「朝子は久雄に自分が母親であると打ち明ける。久雄は朝子に、自分が殺そうとしている  

 のは、父・永之輔であると打ち明ける。初対面同士で、秘密を打ち明けるところに、血縁 

 の強さを表しているのか。」

 

これらの問いを念頭に置きつつ、宮田さんからグループごとのリーディングの前に1幕で「引っかかっておきたいポイント」の話があり、その後ディスカッション、そのディスカッションついて全体へ報告し、また改めて全体でディスカッションした。内容は以下であった。

 

・冒頭、季子、則子、定子らが登場し、この芝居の背景や状況を説明する。また主役とも言える朝子についても語られ、その後朝子が登場。商業演劇などでは、ごくごく普通の手法であるが、シアトリカルなこの芝居ではかなり効果的ではないかと、ナビゲーター宮田さんから指摘あり。また、久雄、清原登場前、ドラマが始まるまでの平衡が取れた状況を示しているとの声もあり。ある意味でのコミカルさも、次の緊張したシーンにつながっている。リラックスからクライシス。

・朝子が、上手に則子と定子を返してしまうやり方が、この人物をよく表している。

1幕は、3つのシーンに分かれ、各幕に比べ、シーン数は少ない。

20年ぶりの親子の再会、久雄の登場はいささか強引な印象もあるが、うまくできている仕掛けではないか。まずは「望遠鏡」で我が子を見る朝子というのも、サラリと書かれているが、実際の芝居ではかなり印象が大きくなるのではないか。

・最後、久雄が父の清原のことを、愛していたか、今も愛しているか、という問いかけをし、その後、実は自分はその父親を殺そうとしている、と告白する。この流れは、どういうことか、議論。例えば、愛していない、と言ったら久雄の告白はあったのかなど。またこの間の「号砲」が効果的。台詞をどう聞くか、の補助の役割を果たしている。

・幕切れのセリフが、実に次の場への期待を膨らましている。

・また、久雄と朝子が、この後どんな話をしたのか? それが3幕、4幕につながるので大切。

 

 

 

 

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記録:蔵人

【宮本研を読む!】最終日の本日は「美しきものの伝説」のリーディング公演、そしてシンポジウム。

主に、演出家・劇作家によるリーディングで、舞台も高い台の上に椅子が5つというシンプルなスタイルで行った。シンポジウムでも話があったが、期間が短いということもあり、それぞれの読む場所も特に打ち合わせなく、出演者の判断でということで行った。しかし、やはりそこは、出演者が演出・劇作を生業としていることもあり、結果、椅子に座るのか座らないのか、相手との距離はどのようにとるのか、そもそも高い台の上に載るのか載らないのか等、空間をどのように使うか、その役・話の内容をどのように捉えているか、それぞれの個性が表れつつも、それでいて、それなりの配置になるという、面白いリーディングとなった。


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シンポジウムでは、演出家・劇作家同士でこの作品をどのように考えたのか、作品に対して考察したい点等、リーディングを観劇していた参加者も含めてディスカッションが行われ、まだまだ話足りないというぐらい、こちらも面白い濃い時間となった。

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出演者から異口同音に出てきたのは、今回のように特に演出家同士で一つの戯曲(一人の作家)を巡って、話し合う機会はあまりなく、このイベントが大変貴重なモノになったという意見であった。

「美しきものの伝説」という作品それ自体が、一つの時代を築いてきた人達がお互いに意見を闘わせる、青春群像劇の一面を持っていることもあり、初日・2日目のディスカッションから見学をした参加者にはどのように映ったのか、大変興味深いなあと思う。

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記録:平野智子

本日は秋浜悟史WSの最終日。10時45分集合で、11時から詩森さんより配役の発表とリーディングのやり方について説明があった。前日に主なメインの配役と方法については発表があったので、この時間で細かい部分が整理された。


出演者全員、ステージの周りで待機、その場に出ている登場人物が舞台に上がる。座る順番は、下手から根子倉造・田貝谷松・勝子・ふさ・和野初男。ト書きはステージ下の上手前。長いので、読む人を交代しながら止めずに続ける形になり、入れ替わる場所を中心に場当たり開始。


13時、リーディング公演スタート。戯曲部の黒澤世莉さんから観客に向けてセミナー全体の説明。詩森さんにバトンタッチし、5日間のWSで何をやってきたかという話。


リーディングは本編(南部弁)のあと、抜粋シーンの標準語版。岩手弁ネイティブの詩森さん・田村さん(WS参加者)も加わって、同じ場面の南部弁版。それから、関西出身者による関西弁版。

聞こえ方がまるで違う。この戯曲が南部弁で書かれた意味と岩手の人ならではの思考回路で文脈が成り立っていることを再確認。


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その後、振り返り。

・通しで読むのが初日以来で、出演者の南部弁がものすごく上達した。

・はじめは方言にとらわれて内容が入ってこなかったが、中身について学んだ4日間があってこそ、話が豊かになった。

・借金が大変というシリアスな芝居に思っていたが、コントっぽい要素が多く、秋浜が新喜劇が好きだというのがちょっと分かるようになった。

・すごく岩手っぽい話。人間関係や谷松の性格がそう。

・南部弁の語尾の意識。自分に戻る。相手にぶつけない。きついことを言うけれど、言い方が違う。明日からも顔をつきあわせて行かなきゃならないからでは?

・自分の話だけど、他人事みたいに言う。

・「標準語は冷たい、南部弁はあったかい」という点については、東京生まれだと標準語が冷たいという意識はないから、幼少期をどこで過ごしたかが大いに影響する。

・標準語は正確性を求められる言葉だから、熱くなると伝わらない。

・方言に直すという作業は、外国語の翻訳と同じ。話せるだけでなく、コンテキストを理解していないとできない。


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今回のWSは、参加者の出身地域が多岐にわたったことで、より一層、秋浜戯曲のもつ地域性が浮き彫りになった。そして、実際に秋浜氏の教えを受けた参加者や娘さんから生の声を聞くことができ、戯曲の読解にとどまらず、作家の人柄や劇作以外の活動にも触れる形になった。実りある時間を共有できたことを、詩森さんや参加者の皆様に感謝したい。


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