2019年08月

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記録:黒澤世莉

本日より宮本研の研修が並行して行われるため、午前から夕方までの開催となった秋浜悟史研修。朝は作家、演出家として、題材とどう向かい合うか、取材の重要性についての対話からスタートした。作家にとっても取材は欠かせないが、演出家にとってはなおさらだろうと思う。作家の書いた物語を現前させるためには、作家の書いたものだけでなく、その周辺の情報を含め、書物を読むだけにとどまらず、実際の現地に趣き五感で感じる必要があることは自明のことだろう。対話を通してそのことを再認識した。


昨日詩森さんから参加者の関西出身者にオーダーがあった、「リンゴの秋」一部抜粋の「関西弁への翻訳」を配布し、音読してもらった。南部弁(詩森さんがこう書かれているので今後は南部弁で統一する)の感覚とは全く違う物語が現れて驚いた。例えてみれば、南部弁ではモーツアルトだったものが、関西弁だとベートーベンになるといった感じであろうか。論理的には同じ情報なのだが、印象としては「やわらかいもの」が「はげしいもの」になったという受け取り方になった。


それから南部弁での練習に一度戻ってみる。グループワークで練習をして、ふたたび発表をする。一日でどのグループも明確に南部弁が上達している。音に慣れる、耳が慣れる、口が慣れるというのはこういうことかと確認できた。詩森さんからさらに細かいアドバイスが入る。

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その後、模造紙を各チームに配布し、ふせんに「南部弁の印象」「標準語の印象」を書いていくワークをする。マトリクスは「動的←→静的」「高温←→低温」。チームによって同じ印象にはならなかったことが面白かった。おそらく、出身地によっても感じ取り方の違いがあるのだろうと思う。わたしは東京生まれ東京育ちなので、標準語の印象に冷たさがある、という感想は理解できつつも、実感としては感じていない。自分の生まれ育った頃から聞いている言語が、親しみ深さを感じさせるのだろうか、と考えた。


最後に、最終日のリーディング発表についての方針が決められる。南部弁全編と、抜粋の関西弁と標準語をリーディングすることとなった。


個人的には、方言を聞いていることが好きで心地いいので、とても楽しいワークショップだなあと感じている。

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筆記者:蔵人(くらうど)

前半は、小川史氏より、いわゆる職業俳優ではない人達で行われた演劇という観点から、坪内逍遥の公共劇、戦前の労働劇団、戦時下の勤労演劇・農村演劇、戦後の自立演劇、そして秋浜戯曲との関連ということでお話を伺い、その後、参加者との間でディスカッションを行った。

特に戦後の自立演劇(労働演劇)の人たちが、自分たち経験や自分たちの日常生活を汲み取るような、自分たちにこそできる演劇はどういう風にあるべきかということを探っていたということには、参加者は大いに関心を持ったようだ。

ディスカッションでは、秋浜氏のどっちにも立たない批評性と岩手の人のもつ印象、秋浜作品によく登場する白痴(コケ)の存在、オノマトペや幼児語の使用等、様々な意見が出、また、赤狩りと演劇の関連性も議題としてあがり、今回のもう一つの研修作品である宮本研「美しきものの伝説」とのつながりも見えてきて、研修セミナー全体としても有意義な話となった。

後半は詩森氏のワークショップの続き。

詩森氏と岩手出身の参加者で、ひとつのシーンを読んで方言を録音し、その録音を元に3〜4人のグループに分かれ、実際に方言でシーンを読む訓練をする。それぞれのグループに詩森氏がアドバイスを一回りし、訓練の成果を発表。

そして同じシーンを他の方言でやってみたらどうなるかを試してみる。方言により、台詞を発した時の受ける印象が変わり、その会話の中に流れているコンテキストも大きく変わった。

この作品が「岩手の方言」で上演されることが大いに意味があるということを参加者全員で再確認した。

昨日(8/21)のワークショップでは、戯曲構造を解釈した上で今の時代との対応を考えたが、本日のワークショップはそれを受け、戯曲の書かれた時代の歴史背景や演劇的歴史背景というものが、いかに戯曲の理解や新たな問題提起(考えるべき要素)につながるのか、非常によく感じられ、戯曲の中の表面的な背景や演劇だけでなく、様々な分野からの研究や意見が、その戯曲を考える上で重要であることを実感できた回であった。

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記録:平野智子

戯曲研修セミナー2日目は、WS参加者で秋浜研究をされてる須川渡さんから、約1時間のプレゼンテーション。研究者ならではの視点に、宝塚北高校でのエピソードを交え、非常に面白い話が聞けた。

関西に移り住んだのは、宇治在住だった奥様に合わせてのこと。ラブシーンが好きな方で、卒業公演では何度も台本を書き直し色々なラブシーンを作って見せたなど、文献には表れない秋浜さんのロマンチストな一面が垣間見られた。
知的障害のある方と創作した「ロビンフット」劇では、寮生さんの希望に合わせて役を作り、個々の能力に合わせて配役と台詞を考える作劇法で、須川さんいわく“究極の俳優ファースト”。でも、その約束事にとらわれない姿勢が、約四半世紀にわたる交流の持続力の秘密に感じられた。

詩森さんのWSは、劇構造の解析が今日のメイン。「作品を知らない人に内容を説明する」という課題からスタート。あらすじでもダメ、事柄の羅列でもダメ、要約してまとめるというのが、その芝居を理解しているかどうかのバロメーターになることが良く分かった。
皆で意見を出し合い、「英雄たち」は「農村の若い人たちが盆踊りの夜に恋愛・性・環境の差をめぐってうだうだする話」、「リンゴの秋」は「片田舎の食料品雑貨店で家族に巻き起こる月末の問屋さんの集金をめぐる攻防」とまとまった。

登場人物の分析は、「中にいる人」「外からやってくる人」のくくりで大枠をとらえ、その上で各人物の性格や役割を紐解き、対立構造がどこに生まれているのか、その関係性が変化するのかしないのかと確認していった。

詩森さんの進め方は、「参加者に問いかけ、考えさせたうえでまとめる」という形なので、傍観者を作らないのが素晴らしい。今日は、戯曲を読むというよりは、戯曲の中にある問題を他の事例もあげて理解するという時間が多かったが、5日間の日程なので、今日の作業は今後に繋がるいい準備になったと思う。

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筆記者:黒澤世莉

日本演出者協会、日本の戯曲研修部の「日本の戯曲研修セミナー2019」がはじまった。今回は秋浜悟史と宮本研を取り上げる。初日は秋浜ワークショップのみを行う。

今回の全体ファシリテーター、戯曲部部長の川口典成氏のあいさつと「日本の戯曲研修セミナー」およびその前身となる「近代戯曲研修セミナー」の簡単な紹介があり、のち、今回の秋浜ワークショップ講師をお願いした、劇作家、演出家、詩森ろば氏の紹介があった。
詩森氏は秋浜と同じく岩手県で幼少期を過ごしている。今回秋浜ワークショップで取り上げる、いわゆる「東北の四つの季節」に共通する「岩手弁」で書かれた戯曲の読み解きに同郷の作家があたることは心強く感じる。

余計なことかもしれないが、「東北の四つの季節」で書かれている言葉を「岩手弁」と形容していいのかどうか、東京生まれ東京育ちの私には判断する素養がない。本来は盛岡弁や渋民弁と表現したほうがいいのかもしれないが、一般に理解しやすい「岩手弁」で本稿は統一する。今日のWSにおいて秋浜の使う方言についての言及が数多くあったため、このようなことを書いたほうがいいと思うにいたった。

13時30分から19時まで、挨拶のあとは各参加者の自己紹介があり、それぞれの出身地や今回のWSに参加する動機、好きな戯曲などを共有した。思っていた以上に「岩手の言葉ネイティブ」の方が多くご参加いただいていた。

その後、今回「東北の四つの季節」から主に取り組んでいく「英雄たち」「りんごの秋」を参加者と輪読し、その振り返りを行い本日は時間いっぱいとなった。詩森氏の進行は非常によく準備されていて、聞いていて学びになることばかりだった。

秋浜悟史の戯曲の中に、面白い擬音が数多く出てくる。この擬音の語感が出身のよるものなのか、時代によるものなのか、個人的な資質によるものなのか、個人的に興味を持った。

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