鹿鳴館第二幕報告 9/16 19:00-21:30
報告者 蔵人

参加者からの「問い」

●鹿鳴館を1幕から読み進めて2幕で、自分がシェイクスピアを読んでいる感覚と類似していると思いました。そう感じたのは何故なのか‥‥

●なぜ朝子は影山と結婚したのか?
久雄を産んで別れても朝子は清原を慕い続けていた。影山との結婚後現在もその思いは変わらないのに。なぜ?

●朝子の『政治』とは?影山『愛情』とは?

●欧化政策のシンボルでもある鹿鳴館とは登場人物にとってどんな存在なのか?

●「菊」はこの作品の中でどんな効果があるか。三島由紀夫はどんな意図で使っているのか。

●影山が清原の暗殺を飛田ではなく久雄に固執した真意は何か。

●当時求められていた、女性として妻として夫人としての役割を超えて、
決断や行動をする女性(朝子)をなぜ描いたのか?

前日と同様、参加者からこの「問い」の提起があり、宮田氏からのその「問い」を踏まえた上で、「戯曲上の引っかかる言葉」の提示があり、その上で4つのグループに分かれ、本読み、グループディスカッション、そして全体でのディスカッションを行った。

私のグループは第一の問い(シェイクスピアとの類似性)のグループで、その問いから出発したが(問いに対しては、修辞が多用されているからではないか、特に三島自身が海外旅行で日本人ではなかなか言わないような、口説き文句などの台詞がそう思わせたのではないかという意見が出たが)俳優が戯曲にかかれている背景に、自分の妄想(戯曲にはっきりとした明示はないが、いくつかの根拠を元に、その俳優が直感的に感じ、膨らませた想像)を持ち込むこと(例として、影山に子供がいないという劣等感があり、飛田の台詞から子供が欲しくなったのではないか、という意見があがっていました)は、演劇作品を作る上で効果的かどうか、大きな目的から逸れることになるではないかという問いに発展した。その問いに対し、宮田氏は「俳優も演出も想像できた妄想は、作品を作る原動力になる」と肯定した上で、「ただし、その無数にでてくる妄想とそうではないちゃんとしたプランを繋げていく為に話し合ったり、調べたりする」と、ディスカッションやリサーチの意義を参加者に伝えた。
その言葉により刺激を受け、草乃の存在(どういう人物なのか、朝子とはいつ出会ったのか)、影山の草乃に対する行動理由、影山と朝子が夫婦になった理由等、戯曲から想像した背景について活発に意見が交わされた。

私的意見にはなるが、特に三島作品で戯曲分析を行う際、この「妄想」というものがつきまとうということを、前日に引き続き、本日のディスカッションでも強く印象を受けた。そして、この「妄想」が膨らむことが、正にこの三島作品が観客に与える想像力に繋がるのだなという発見があった。
そしてこれは引き続き第三幕・第四幕・最終日のセミナーの中で検証していく必要があるが、この「妄想」が戯曲分析をより難解のように思わせるが、実は、戯曲に書かれている一つ一つを舞台効果という側面から見ると、比較的すっきりしていくのではないか、という発見もあった。

以上