セミナー1日目
報告者:篠本賢一
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2022/2/1 19:00~21:30
事前研修の2日間から約一週間、その間にディスカッション・メンバーから「問い」が寄せられ、今日からいよいよセミナー本番となる。
まず、進行役、丸尾聡氏のガイダンス、実行委員の豊永純子氏から、第一幕に寄せられた問いが発表され、さらに、福田善之氏のインタビュー映像を約18分視聴した。福田氏のよると、この戯曲がロジェ・マルタン・デュ・ガールの長編小説『チボー家の人々』(ジャックの反戦ビラエピソード)から着想されたということだ。第一次世界大戦を舞台に、若者たちの生きざまを描いたこの作品のなかで、反戦の思いをめぐる行動の矛盾、運命の残虐さなどに惹かれ、それが戯曲執筆の60年安保闘争の時代とどこか重なり合うところがあったらしい。
インタビュー映像視聴のあと、ブレイクアウトルームに分かれて、ディスカッションが行われた。4つのルームには、実行委員を含めた4人程度と見学者が配置される。本日の課題箇所は「第一幕」である。集まった四つの問いは、次のとおりである。

オープニング なぜ若い壮士の稽古シーンから始まるのか?
(なぜメタ構造なのか、その意図)

第1場、城山のセリフ「客は確かに警察が嫌いさ〜しかしおれはたしかにみたね、客の顔にホッとした色が浮かんだ……やっぱり、とおもったな。あたり前のことだが……」
城山座長は観客という存在についてどう思ってたのか。

どうすれば演劇によって、住民の人権意識は挑発されるか。

第4場、演出家のセリフ「城山の真剣が奇しくも辰也の手によって本当に人を斬ってしまう。このことの思想的な意味。」 (1)セリフに内包された作者が意図した”思想的な意味”とは? (2)(1)の答えを踏まえたうえで、似た事象が60年安保闘争のころにはあったか? (3)さら現代においてそのような事象をピックアップするとしたら何だと思うか?

私が参加した部屋は、④の問いのグループだった。実際の演出家と思われる人物がいきなり登場し、そこまで行われていた劇に批判を加えるメタシアター的シーンで、演出家の口にする「思想」の内実を探り合った。辰也の刀が、小道具から城山の真剣に変わったことは、同じ幕の第3場、奥中のセリフにある「虚と実」にリンクするのではないか、「思想」には大きな意味はない、演出家の登場というショックが問題だ、演出家の観念を語りたがる癖を誇張した洒落ではないか、60年安保当時の既成左翼と新左翼の関係性をほのめかしているのではないか、などの言説が飛び交った。

ブレイクアウトルーム終了後、部屋ごとに問いの発表者がディスカッションの内容を報告した。
城山の意識の変遷について、「民衆」をみつめていたところから「観客」に対象が変わった、社会ではなくアートの革新に変わったなど、それぞれのグループで活発な意見交換があったようだ。
福田氏はセミナーの参加者の集まり具合を心配されているらしいが、まったくの杞憂のようだ。見学者も多数参加し、「オッペケペ」を読むセミナーは、順調な滑り出しで第一日を終えたと思う。